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東京家庭裁判所 昭和48年(家イ)11469号 審判 1973年11月30日

申立人 植松慎二(仮名)

主文

東京都○○区長は昭和四八年八月二七日出生した申立人の○男につき、その名を「悠」とする申立人からの出生届を受理しなければならない。

理由

本件申立の要旨は、「申立人は昭和四八年八月二七日出生した○男につき、「悠」(ゆう)と命名したうえ同年九月一〇日東京都○○区長に出生の届出をしたが、同区長は「悠」の文字が当用漢字および人名用漢字にないとの理由で右届出の受理を拒んだ。申立人は、やむなく「名未定」として出生届出をしたが、「悠」という字は、「悠遠」、「悠長」、「悠然」、「悠々自適」等、日常的な単語に多く用いられ、読み方も一般的なものであつて、人名にこの文字を用いることは、生活能率および個人の幸福に何ら支障はない筈であり、同区長の不受理処分は不当である。よつて戸籍法一一八条に基づき、同区長の右処分に対し不服の申立をする。」というのである。

よつて審按するに、戸籍法五〇条一項は、子の名には常用平易な文字を用いなければならないとし、同条二項、同法施行規則六〇条により、子の名に用いる文字は昭和二一年一一月内閣告示三二号当用漢字表に掲げる漢字および昭和二六年五月内閣告示一号人名用漢字別表に掲げる漢字のほか片かなまたは平がなに制限されており、戸籍の実務においては子の名について右に掲げる以外の文字を用いた出生届は受理すべきでないとされている(昭和二三年一月一三日各司法事務局長宛民事甲第一七号法務省民事局長通達、昭和二六年二月一三日民事甲第二五六号同民事局長回答)。

申立人が○男の名に用いようとする「悠」という漢字は、前掲当用漢字表にも、人名用漢字別表にもなく、また昭和二九年三月一五日の国語審議会の「当用漢字表審議報告」(当用漢字表補正試案)にも加えられていない。しかしながら、「悠」の画数は一二画であり、申立人の主張するように「悠久」、「悠長」、「悠然」、「悠々自適」等の熟語として日常多用されていることは事実であるし、これと同一の画数で人名用漢字として認められている「寅」、「淳」、「鹿」、「亀」、更にこれより画数の多い「琢」、「毅」、「艶」などにくらべて、特に常用でなく、かつ難解であるとする理由はないと思われる。

そもそも当用漢字表なるものは、これを定めた昭和二一年内閣告示三二号が、その「まえがき」に示すように、「今日の国民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行なわれることをめやすとして選んだもの」であつて、現代国語を平易に書きあらわすための基準を示すものであり、人名用漢字別表も同様の趣旨で当用漢字表に追加されたものである。もとより戸籍法五〇条によつて委任された同法施行規則六〇条が、子の名に用いるべき漢字を当用漢字および人名用漢字に制限したのは、わが国の国語政策に即応した妥当な処置であつて、戸籍事務担当者の裁量によつては表外漢字を子の名に用いた出生届の受理を認めないものとする実務の取扱いも正当である。しかしながら当用漢字表制定の趣旨は前示のとおりであり、表外漢字を一切使用禁止とするような強力なものではないし、戸籍法五〇条の趣旨も、同法が戸籍事件について市町村長の処分につき家庭裁判所に不服の申立をすることを認めていることからみて、個々の場合に、家庭裁判所の判断により、表外漢字を子の名に用いた出生届の受理をも、実情に即して認容する余地を残したものと解するのが相当である。現に、実務においては襲名等による名の変更許可の場合は、表外漢字の使用が認められる取扱いである(昭和二四年一一月一五日民事甲第二六六六号回答)。

申立人審問の結果によれば、申立人は妻ふみ子が妊娠したことを知つた昭和四八年正月ころ、生れてくる子が男子なら「悠」、女子なら「かずみ」と名付けようと夫婦で話し合つてきめたものであり、子の名については当用漢字または人名漢字によらなければならないことは知つていたが、「悠」の字は当然許容されていると考えていたので、出生届に当り、これが表外漢字のため受理されないことを知つて当惑していること、申立人の家庭では○男のことを現に「(ゆう)」と呼び、種痘の手続も「悠」の通称を用いて行なつていること、申立人夫婦は○男に「悠」と命名できるよう切望していることが認められる。

そしてまた、本件につき東京都○○区長から提出された意見書によれば、昭和四八年度全国戸籍事務協議会総会において、岡山県部会より、「現代の社会情勢から人名文字の制限を拡大(緩和の趣旨と思われる)するよう再度当局に要望する」旨、例字二五字(「悠」を含む)を示した協議会事項が提出され、討議される予定であることが認められ、戸籍事務担当者の間でも「悠」が人名漢字表に加えられることを期待する意見の多いことがわかる。

以上の説示を前提とし、当裁判所は本件においては申立人の○男につき、その名を「悠」とする出生届が受理されることを相当と考える。よつて本件申立を認容し、特別家事審判規則一五条に基づき主文のとおり審判する。

(家事審判官 田中恒朗)

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